遺シテ逝クコト/闘病記 〜現実はすぐそこに〜

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2019.12.4 切ナル願ヒ

どうも、シバク・ドワレです。

ちょっと衝撃的なタイトルを付けてしまいましたね。シバク・ドワレには相応しく無い、おセンチな内容です。

 

先日は、土曜日に続いて外出時に麻薬を持ち出すのを忘れ、師長や主治医からきつく叱られました。一度でも服用しないと始末書と院内報告書が必要だそうです。もし仮に紛失したら、保健所への報告が必要なほどの指定管理薬。

それを忘れるくらい、私の集中力と自己管理能力は途切れてきているようです。今朝、これ以上重たい荷物を担いだり、業務は推奨できないと主治医にはっきり通告されました。あとどれくらい働けるのでしょうか。

この記事も、そんな感情が描かせているのでしょう。

 

どんなに空威張りして強がってみても、私が末期がんなのは紛れも無い事実。

出来得るなら、このブログは元気な私の妄想で作り上げている架空の物語であってほしいと願いますが、そんな都合のいい話はありません。

 

私は、人一倍照れ屋なんでしょう。

だから、威勢良く虎の威を借る狐の如く、「病気なんか怖くない!がんなんて病気のうちに入って無い!」などと気勢を上げるのでしょう。

本当の心の奥底では、死を怖がっているかもしれない。いつ、立つことさえ叶わなくなるのかと、不安に慄いているのかもしれない。

 

それらの恐怖は、自分が旅立つ畏れではありません。総て妻を遺すことが怖いからです。

子供達とは離れてはいますが、子にとって親はいつか居なくなる存在。ドライな考え方ではありますが、もうとっくに成人した子供達には未練はありません。

 

しかし、少し幼いところがあり、私以外に頼る者の全くいない妻を遺す訳にはいかないのです。

私が病室で薬と闘う夜、独り寒さに震えている妻。

スーパーで他の奥さんに威嚇されて怖がっている妻。

少しでも世の中と触れ合いたいと働きに出ては虐められ、人のためになるからと習う手話の講座ではその大人しい繊細さを馬鹿にされ、少し人とは違う感性を持っているからと虐められてばかりの半生。

そんな妻を独り遺す訳にはいかないのです。

下へ続く

残すことも大事です

こんな記事をしたためたら、更に妻が虐められてしまうかもしれません。

でも、幼き頃から親兄弟にさえ虐待されて、それに打ち勝つには心を止めるしか無いと判断した彼女を、私は尊敬します。

誰でも、攻撃されたらやり返します。

でも妻はただ耐えてきた。

 

その妻が、辛く苦しい過去を棄てようやく心の安寧を私に求めて、一緒に暮らすようになってまだたったの五年。

その幸せを、妻から奪わないで欲しいだけです。

 

私は、この五十六年間、わがままに好きなように生きてきました。思い残すことはないと言えば嘘になりますが、がんの闘病がいつか終わりを告げても、悔いはありません。

しかし、唯一妻を遺すことだけが今の私にはできないのです。それ故に、せめて思い出だけでも人の数倍作るために、旅を続けています。

その想い出が彼女の重荷になってしまうかもしれませんが、私にとっては旅立つ時に脚を軽くする材料にしてしまいそうです。なんとも自己中心的な思考ではありますが、旅はやめません。

 

どうか、せめてあと十年、いや五年でも、彼女の楽しい生活を続けさせてやってください。彼女がようやく心の重みを取ることができ始めたばかりで、終わらさないでやってください。

私は空の上から彼女を見つめるだけでは納得も満足もできない、欲張りもんなんです。

 

それが今の願いかな。

2019.12.4

 

ご閲覧ありがとうございました。よろしければ他の記事も覗いて行ってくださいね。 自作キャンピングカーと大型オートバイを中心に、夫婦での旅記録が主な内容です。

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